有年山城(大鷹城・八幡山城)は、赤穂市東有年にある標高201メートルの大鷹山(八幡山)の山頂に築かれた赤穂市最大の山城です。山頂部分は城台(しろんだい)と呼ばれています。山の東側には放亀山1号墳をはじめ、古墳が点在しています。
麓には西国街道を臨み、本丸跡からは家島群島も見ることができます。
見どころ ポイント (山城ピクトグラム) |
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コース タイム |
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標高 | 201m |
体力度 | ★★☆☆☆ |
技術度 | ★★☆☆☆ |
対象 | 初・中級者 |
駐車場 | 有年公民館の駐車場、 東有年自治会館の西側駐車場 |
トイレ | 有年公民館のトイレが利用可能です。 (月曜から金曜のみ) |
備考 |
「赤松家播備作城記(あかまつけばんびさくじょうき)」によれば、城主は赤松円心の長男範資(のりすけ)の三男本郷掃部助直頼(ほんごうかもんのすけなおより)で、暦応年間(1338年~1342年)に居城としていたとされています。
その後、赤松家家臣の富田右京(戸田右京)が再び山城を築きましたが、天文年間(1532年~1555年)に浦上宗景に滅ぼされます。元亀年間(1570年~1573年)には、赤松家家臣の小田弾正(太田弾正)が再度築城したとも伝わります。
天正3年(1575年)に宇喜多氏が赤穂郡に侵攻した際に宇喜多方の城となりましたが、天正7年(1579年)に宇喜多氏が織田方に帰順して以降は、史料にあらわれないことから、廃城となったと考えられています。
実際に山城に登っている様子を動画でご覧いただけます。
全国でも珍しい石垣に組み込まれた飾り石で、
「兎」、「月」、「扇」の3つがある。
「扇」には白居易の漢詩が刻まれている。
千種川を行き交う高瀬舟の目印として
山上に建てられた珍しい灯台。
福浦のビシャゴ岩、尼子山の巨岩と並んで
赤穂3大巨岩といわれている。
本丸跡からは東西に走る西国街道を一望できるほか、
家島諸島も望むことができる。
赤穂市内で確認されている唯一の前方後円墳で、
古墳時代前期前半(約1,700年前)のものと
考えられている。
※Googleマップでは駐車場をご案内しております。