坂越浦城は標高20メートル、茶臼山城は標高160メートル程度で、山城登山というよりは軽いハイキング感覚で登れます。坂越浦城は大避(おおさけ)神社の西側にあり、現在は展望広場となっています。
その北側に茶臼山登山口があり、一部未舗装で狭いところもありますが、車で上がることもできます。茶臼山の頂上は東西27メートル、南北13メートルの平たんな土地が広がっており、いずれも坂越湾を臨む絶景を楽しめます。
見どころ ポイント (山城ピクトグラム) |
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コース タイム |
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標高 | 坂越浦城は標高20mほど。 茶臼山城は標高160m程度 |
体力度 | ★☆☆☆☆ |
技術度 | ★☆☆☆☆ |
対象 | 初級者 |
駐車場 | 坂越浦の駐車場利用 バス駐車可 |
トイレ | 坂越浦城にトイレがある |
備考 | 車で茶臼山まで行くこともできます。 |
「赤穂郡誌」によると、嘉吉(かきつ)元年(1441年)の嘉吉の乱によって播磨国守護・赤松満祐を滅亡させた山名宗全が乱の後、赤松残党の逆襲に備えて茶臼山城を築城したとされています。
乱から14年後の享徳4年(1455年)に、赤松満祐の子・教康(のりやす)と甥の則尚(のりひさ)らが茶臼山城に陣取る山名氏を攻めようとしましたが、あえなく敗れ、やがて自害したと伝えられています。坂越浦城は赤松惣領家の再興後は、赤松村秀による坂越港支配の拠点となりました。
龍野城主「赤松下野守村秀」の通城で、
主に坂越浦を監視する役割を担った坂越浦城跡。
現在は美しく整備された公園として市民や観光客に愛されています。
644年、蘇我入鹿から逃れた秦河勝が祭神とされています。
またこの神社には「12という数字」にまつわる多くの謎が
残されておりミステリーを探しながら散策するのも楽しい。
大避神社の神宮寺だった寺で、宝珠山山腹にある観音堂。
4枚の三角形を合わせたお堂の屋根はエジプトの
ピラミッドと同方向を向くと言われるパワースポット。
山腹には16の坊舎と9つの庵を構えたという妙見寺。
僧兵一揆などでほとんどが焼失し、現在では観音堂、
薬師堂とこの奥の院が残るのみとなりました。
後醍醐天皇と足利尊氏の争いの中、南朝側についた
備前熊山の和田範長一族5名が赤松円心に追い詰められ
自害したとされる和田備後守範長公一族五霊位の墓所。
赤穂藩の支所であり茶屋、また坂越村の会所として
明治時代まで使用されてきた歴史的建造物です。