「赤穂富士」ともよばれる、赤穂市にある標高259メートルの尼子山に築城された城です。「尼子の大岩」や「尼子の巨石」と呼ばれる見る者を圧倒する巨石があり、今にも転げ落ちそうに見える岩は、敵への攻撃に備えるためとも、自然のままとも伝えられています。
巨石の上や頂上からの瀬戸内海を見晴らす眺望は、淡路島や四国まで広く見渡すことができます。
見どころ ポイント (山城ピクトグラム) |
|
---|---|
コース タイム |
|
標高 | 約259m |
体力度 | ★★★★☆ |
技術度 | ★★★★★ |
対象 | 中・上級者 |
駐車場 | 千種川の河川敷駐車場を利用 バス駐車可(中型) |
トイレ | なし |
備考 | 山頂からの眺望は瀬戸内の島々を一望できます。 |
後に山陰、山陽8カ国、120万石の太守となった尼子晴久が、天文7年(1538年)に播磨に侵攻し、このとき尼子氏の城となっていた可能性があります。尼子氏が城山城(きのやまじょう)を拠点に支配を拡大するなかで、尼子山城もその勢力下にあったと考えられています。
毛利と尼子の戦いにおいて、毛利勢は天然の要害尼子山城に苦戦を強いられます。1人の老婆に抜け道を教えられ、尼子軍を背後から不意打ちし、城攻めを成功させたとの伝説や、落城時に刎ねられた尼子義久の首が麓の浜市まで飛んでいったという伝説が残されています。
また、登山口すぐのところに義久の墓と言われる墓が残されています。史実では、義久は慶長15年(1610年)に長門(ながと)で死去しており、ここに義久が埋葬されているわけではないようですが、城跡が地元の人々に大切にされてきたことが分かる場所です。
実際に山城に登っている様子を動画でご覧いただけます。
「中世播磨250の山城」(城郭研究家 木内内則)
(中世城郭研究家 木内内則)
登山口へと続く藪林脇に、佇む尼子将監(しょうげん)と
される墓石。今も地元市民により大切に守られています。
頂上まで登ると尼子山城跡標識と脇には尼子将監(義久)
を主祭神とする尼子神社が祀られています。
山頂近くに現れる石の鳥居。
これより先は神域となる尼子神社への参道。
攻め上る敵を迎え撃つための
軍用石ではないかと伝えられる大岩。
八合目付近に見られますので、ぜひ探してみてください。