利神城は、佐用町平福(ひらふく)にある標高373メートルの利神山(りかんざん)の頂上に築かれた山城で、平成29年に国指定史跡に指定されました。山上の三層の楼閣は、雲を衝くがごとき威容から「雲突城(くもつきじょう)」と呼ばれました。
麓の平福の町並みは因幡街道の宿場町として栄えた名残を多くとどめており、お城の風景と併せて散策を楽しむことができます。
石垣の崩落など危険箇所が多いため、現在も補修工事が進められており、一般の方の入山は禁止されています。佐用山城ガイド協会が実施する「利神城ガイドツアー」に限り入山が可能です。
見どころ ポイント (山城ピクトグラム) |
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コース タイム |
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高低差 | 麓からの比高は約250m |
標高 | 標高373m |
体力度 | ★★☆☆☆ |
技術度 | ★★☆☆☆ |
対象 | 初・中級者 |
駐車場 | 「道の駅宿場町ひらふく」を利用 バス駐車可 |
トイレ | 「道の駅宿場町ひらふく」を利用 |
備考 | 公式ガイドを伴った登山となります。 コースタイムはガイド同伴タイムです。 |
貞和5年・正平4年(1349年)に赤松氏の一族である別所敦範(あつのり)により築城されました。
天正6年(1578年)に尼子勝久に攻められ落城しますが、上月合戦により尼子氏が滅亡すると宇喜多氏の所領となります。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦の後、池田輝政の甥である池田由之(よしゆき)が平福の領主となり、5年の歳月をかけて三重の天守や総石垣の郭を設けるなどの大改修を行いました。しかし、その万全の備えであるがゆえに、幕府から警戒されることを恐れた池田輝政の命により、天守を破却することになったとの伝承が残っています。
実際に山城に登っている様子を動画でご覧いただけます。
「中世播磨250の山城」(中世城郭研究家 木内内則)
「中世播磨250の山城」(中世城郭研究家 木内内則)
利神山南西部登山道途中にある祠(ほこら)です。
佐用川の石垣沿いには昔ながらの佇まいで、
白壁の川屋敷や土蔵群が連なっています。
燃えるような朱やオレンジに染まった
紅葉に包まれる利神城は、
麓から眺めるだけでも楽しめるフォトスポットです。
三の丸から二の丸東区にかけての石垣です。