平安時代 征夷大将軍坂上田村麿の一子氏助公が、参拝者の繁栄と揖保川流域の水の恵みを願って、観世音菩薩と弁財天を祭祀したのがはじまり。豊臣秀吉が沓を脱いだとされる「太閤石」がある境内は、秋には見事な紅葉に包まれます。