楯岩城(たていわじょう)は巨岩が文字通り楯のように立ち並んでいることから名がつけられたといわれています。
地誌「播磨鑑」によれば、建武年間(1334年~1338年)赤松則弘が築城し、室町時代の嘉吉元年(1441年)、赤松満祐が室町幕府6代将軍足教を暗殺し、領国播磨で幕府方討伐軍に敗れ討たれた「嘉吉の乱」で落城したとあります。やがて赤松伊豆守定村が居城し、その後5代続きましたが、天正の始めに羽柴秀吉によって攻められ落城しました。
姫路藩士小屋佐次右衛門が城跡に登って描いた見取り図によると、現在のテレビ塔の場所が本丸で、南と西北のびる屋根上に、二の丸、三の丸があるかなり大規模な山城であったと記されています。
登山道入り口 若王子神社
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太子町産業経済課
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